カンディンスキー
1866年~1944年
ワリシー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)
<ワリシー・カンディンスキー 年表>
1866年 12月4日モスクワに生まれる
1886年 モスクワ大学に入学(法律、経済を学ぶ)
1892年 法学試験に合格
1893年 モスクワ大学法学部の助手となる
1896年 モスクワで開催されたフランス美術展にて、モネの「積みわら」を見て画家の道に進むことを決意
1900年 ミュンヘンアカデミーに入学し、本格的に芸術を学ぶ
1910年 最初の抽象画作品を制作
1912年 友人らと共に、絵画、楽譜、版画など様々な芸術を載せた総合的な芸術年鑑である「青騎士」年鑑を発刊
1916年 アンドレエフスキーと結婚
1917年 造形芸術局の演劇、映画部長と造形芸術誌の編集長を兼任
1920年 モスクワ大学芸術学教授に就任
1922年 バウハウスに赴任。その後デッサウ市への移住。
1933年 ナチスが勢力を伸ばしてきた為、スイスを経由してパリへと逃れる
ナチス・ドイツによってバウハウスが閉鎖される。この頃までドイツの芸術の発展に尽くした。
1935年 連作「連続 Succession」を発表
1939年 フランス国籍取得
1944年 12月13日死去
<ワリシー・カンディンスキー 作品一覧>
ワリシー・カンディンスキー「Squares with Concentric Circles」
ワリシー・カンディンスキー「Composition VI」
ワリシー・カンディンスキー「Composition VII」
ワリシー・カンディンスキー「Composition VIII」
ワリシー・カンディンスキー「Improvisation 31」
ワリシー・カンディンスキー「Improvisation 35」
ワリシー・カンディンスキー「Flood Improvisation」
ワリシー・カンディンスキー「In Gray」
ワリシー・カンディンスキー「Moscow I」
ワリシー・カンディンスキー「Yellow-Red-Blue」
ワリシー・カンディンスキー「Riegsee the Village Church」
ワリシー・カンディンスキー「Munich Shwabing」
ワリシー・カンディンスキー「Riding Couple」
ワリシー・カンディンスキー「二つの間」
ワリシー・カンディンスキー「赤いかたち」
ワリシー・カンディンスキー「相互の和音」
ワリシー・カンディンスキー「二つの黒」
ワリシー・カンディンスキー「連続」
ワリシー・カンディンスキー「二つの緑の点」
ワリシー・カンディンスキー「結合」
ワリシー・カンディンスキー「一つの斑点」
ワリシー・カンディンスキー「空色」
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2012年3月5日 | コメント/トラックバック(0) |
モディリアーニ
1884年~1920年 パリ派
アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani)
「私は、自画像を描いたことが無い。テーマとしては、私自身より、他の人々、とりわけ女性たちのほうにずっと魅力がある。」
<アメデオ・モディリアーニ 年表>
1884年 7月12日イタリアの港町リヴォルノに生まれる(生誕直前に父親が破産)
1900年 肺結核により病気療養の為、フィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリ、ローマ などの土地を周る
(この時シエナ派など古典作品から影響を受ける)
1901年 故郷リヴォルノを離れフィレンツェの裸体美術学校で学び始める
1903年 ヴェネツィアに滞在
1906年 肖像画家を目指してパリへ移住。ピカソなどと知り合いになる。
1907年 サロン・ドートンヌに出品
1908年 アンデパンダン展に出品(無審査で誰でも出品可の展覧会)
1909年 モンパルナスに拠点を移す
この頃から彫刻家としても活動する(~1914年)
1910年 アンデパンダン展に出品
1911年 アンデパンダン展に出品
1912年 サロン・ドートンヌに出品(彫刻の作品)
1913年 ベアトリス・ヘースティングスと交際(~1916年)
1915年 この頃から再び絵画の道へ戻る
1916年 若き画商レオポルド・ズブロフスキーがモディリアーニの絵画に興味を持つ
1917年 ジャンヌ・エビュテルヌと出会い交際
ベルト・ウェイル画廊で初めての個展を開くが、裸婦を描いた作品が警察に見つかり風紀を乱すとして、オープニング間も無くして打ち切り。
1918年 酒と麻薬に溺れる中、療養のため南フランス、ニースへ(1年でパリに戻る)
1919年 ロンドンのマンソード画廊に出品された作品が1000フランという展覧会の 最高値がつく
1920年 1月24日、結核性髄膜炎により36歳で亡くなる
<アメデオ・モディリアーニ 作品一覧>
アメデオ・モディリアーニ「大きな帽子のジャンヌ・エビュテルヌ」
アメデオ・モディリアーニ「若い女の肖像(ジャンヌ・エビュテルヌ)」
アメデオ・モディリアーニ「青い眼の肖像(ジャンヌ・エビュテルヌ)」
アメデオ・モディリアーニ「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「扉を背にしたジャンヌ・エビュテルヌの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「シュミーズを着た赤い髪の若い女」
アメデオ・モディリアーニ「白いクッションにもたれる女」
アメデオ・モディリアーニ「赤ん坊とジプシー女」
アメデオ・モディリアーニ「アリスの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「アントニア」
アメデオ・モディリアーニ「おさげ髪の少女」
アメデオ・モディリアーニ「セーラー襟の少女」
アメデオ・モディリアーニ「ヴァン・ムイデン夫人の肖像」
アメデオ・モディリアーニ「座るズボロウスカ夫人」
アメデオ・モディリアーニ「ハンカ・ズボロウスカ夫人の肖像」
アメデオ・モディリアーニ「ルニア・チェホフスカの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「ロロット」
アメデオ・モディリアーニ「ルネ・キスリングの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「モイズ・キスリングの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「ポール・ギヨームの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「ポール・ギヨームの肖像2」
アメデオ・モディリアーニ「ジャン・コクトーの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「青い目の女」
アメデオ・モディリアーニ「デディ・アイデン」
アメデオ・モディリアーニ「自画像」
アメデオ・モディリアーニ「少女の肖像(ヴィクトリア)」
アメデオ・モディリアーニ「小さな農夫」
アメデオ・モディリアーニ「青い服の少女」
アメデオ・モディリアーニ「彫刻家ジャンク・リプシッツとその妻」
アメデオ・モディリアーニ「若い奉公人」
アメデオ・モディリアーニ「新郎と新婦」
アメデオ・モディリアーニ「騎馬服の女」
アメデオ・モディリアーニ「シャイム・スーティンの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「ベアトリス・ヘイスティングの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「南フランスの風景」
アメデオ・モディリアーニ「裸のカリアティード」
アメデオ・モディリアーニ「パブロ・ピカソの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「ディエゴ・リベラの肖像」
アメデオ・モディリアーニ「座る裸婦」
アメデオ・モディリアーニ「横たわる大きな裸婦」
アメデオ・モディリアーニ「うずくまる裸婦」
アメデオ・モディリアーニ「目を閉じた裸婦」
アメデオ・モディリアーニ「立てる裸婦」
アメデオ・モディリアーニ「腕を広げて横たわる裸婦」
アメデオ・モディリアーニ「背中を向けた横たわる裸婦」
アメデオ・モディリアーニ「椅子の上にいる裸婦」
アメデオ・モディリアーニ「肩越しに見る裸婦」
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2012年2月28日 | コメント/トラックバック(0) |
ルドン
1840~1916 象徴主義
オディロン・ルドン(Odilon Redon)
<オディロン・ルドン 年表>
1840年 4月22日、フランスのボルドーに生まれる。
1855年 ボルドーの水彩画家ゴランのアトリエに通う
1859年 建築の勉強のためにパリへ移住。国立美術学校にも入学するも、古典的な内容に満足せず退学
1865年 パリに出てジェロームに入門。数か月でやめ、故郷ボルドーに戻り銅版画家ブレダンに師事する
1868年 サロン初入選
1872年 夜会の常連となり、画家ラトゥールと知り合う
1878年 オランダ、ベルギー旅行。レンブラント作品を研究。またラトゥールより、木炭素描を石版転写の技法リトグラフを学ぶ。
1879年 リトグラフ集「夢のなかで」刊行
1880年 結婚。最初のパステル画制作
1881年 木炭素描の個展開催
1882年 版画集「エドガー・ポーに捧ぐ」刊行
1886年 第8回印象派展に素描を出品
1887年 陪審員の挿絵として6点素描を描く。その年に転写され、刊行。ブリュッセルの「二十人会」で展示される
1889年 ゴーギャンと知り合う
1890年 次第にリトグラフから離れ、油彩やパステル画に専念し、一気に色彩豊かな作品になっていく
1894年 デュラン=リュエル画廊で大規模な個展
1904年 前年、サロン・ドートンヌ設立に参加し、この年、一室を与えられて、展示。油彩画の「瞳を閉じて」が国家買い上げに。
1916年 7月6日パリにて死去
<オディロン・ルドン 作品一覧>
オディロン・ルドン「野の花」
オディロン・ルドン「青い花瓶の花」
オディロン・ルドン「キュクロプス」
オディロン・ルドン「ペガソス」
オディロン・ルドン「聖ヨハネ」
オディロン・ルドン「仏陀」
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2012年1月5日 | コメント/トラックバック(0) |
クリムト
1862年~1918年 象徴主義
グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)
<グスタフ・クリムト 年表>
1862年 オーストリアのウィーン郊外のバウムガルテンに生まれる。
1876年 14歳で奨学金を受け、ウィーン美術工芸学校に入学
1879年 17歳にしてオーストリア皇帝の銀行式の祝祭行列の計画に参加
1892年 この頃から進歩的な芸術家たちと知り合い、保守的なウィーン美術に反発するようになる
1894年 オーストリア政府からウィーン大学の天井画の製作を依頼を受けるが、伝統を逸した作品だった為激しく非難される
1897年 ウィーン分離派という反体制的芸術家集団を結成
1903年 イタリアでビザンツ美術に触れて以降、金色を大胆に使う作風を確立
1905年 数名の仲間と共にウィーン分離派を離脱
1906年 オーストリア芸術家同盟を設立する
1918年 56歳にして死去
<グスタフ・クリムト 作品一覧>
グスタフ・クリムト「接吻」
グスタフ・クリムト「抱擁」
グスタフ・クリムト「ダナエ」
グスタフ・クリムト「希望2」
グスタフ・クリムト「メーダ・プリマヴェージの肖像」
グスタフ・クリムト「人生の三時期」
グスタフ・クリムト「母と子」
グスタフ・クリムト「The Virgin(処女)」
グスタフ・クリムト「音楽」
グスタフ・クリムト「パラス・アテネ」
グスタフ・クリムト「ソーニア・クニップスの肖像」
グスタフ・クリムト「フリッツァ・リードラーの肖像」
グスタフ・クリムト「Beethoven Frieze(ベートーベン・フリーズ)」
グスタフ・クリムト「J・ペンバウアーの肖像」
グスタフ・クリムト「ヒュギエイア」
グスタフ・クリムト「アデレ・ブロック=バウアーの肖像」
グスタフ・クリムト「アデーレ・ブロック=バウアーの肖像 II」
グスタフ・クリムト「女友達」
グスタフ・クリムト「オイゲニア・プリマフェージの肖像」
グスタフ・クリムト「果樹園」
グスタフ・クリムト「ひまわりの咲く農家の庭」
グスタフ・クリムト「ひまわり」
グスタフ・クリムト「Poppy Field(けしの野)」
グスタフ・クリムト「アッター湖の島」
グスタフ・クリムト「アッター湖畔のカンマー城 I(水城)」
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2012年1月4日 | コメント/トラックバック(0) |
ロートレック
1864年-1901年 後期印象派
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)
<アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック 年表>
1864年 南フランスのアルビで伯爵家の長男として誕生(幼少期ロートレックは転んで足の骨を骨折し、成長が止まってしまったため、父親からは馬にも乗ることもできない世継ぎとして失望される。)
1882年 パリにて、当初はレオン・ボナの画塾で学ぶ
1883年 レオン・ボナの画塾がまもなくして閉鎖。モンマルトルにあるフェルナン・コルモンの画塾に移る
1887年 ムーラン・ルージュというダンスホールがパリで人気を博し始め、ダンスホールや酒場を渡り歩いて酒を飲み、踊り子や客を観察し、異色の人物画を描くようになる。
1901年 37歳酒などの不摂生のため死去
<アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック 作品一覧>
ロートレック「ジュスティーヌ・ディール嬢」
ロートレック「黒いボアの女」
ロートレック「エミール・ベルナールの肖像」
ロートレック「ルイ・パスカル」
ロートレック「朝食をとるロートレックの母」
ロートレック「洗濯女」
ロートレック「女道化師シャ・ユ・カオ」
ロートレック「新聞を読むデジレ・ディオー」
ロートレック「ベッド」
ロートレック「赤毛の女(化粧)」
ロートレック「ムーラン・ルージュにて」
ロートレック「ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ」
ロートレック「ムーラン・ルージュの踊り」
ロートレック「ムーラン・ド・ラ・ギャレットにて」
ロートレック「ムーラン・ルージュにて、カドリール踊り」
ロートレック「踊るジャンヌ・アヴリル」
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2011年12月27日 | コメント/トラックバック(0) |
セザンヌ
1839年~1906年 後期印象派
ポール・セザンヌ(Paul Cezanne)
<ポール・セザンヌ 年表>
1839年 1月19日フランスに生まれる
1844年 両親が正式に結婚
1848年 父親が知人と共に銀行事業を開始し、一家はさらに裕福になる
1859年 父の勧めによりエクス大学で法律を学ぶ
1861年 法律の勉強を放棄し、絵画を学ぶためパリへ移住。アカデミー・シュイスに入学。ここでピサロ等と出会う
(パリ移住後、半年で精神的不安定になり、一度は故郷エクスに戻るものの1862年に再びパリへ移住)
1872年 後に妻となるオルタンスとの間に息子ポール誕生
1874年 第一回印象派展に出品
1886年 父、死去
1880年代以降 故郷エクスに戻り絵画制作に取り組む
1885年 水彩画を本格的に描き始める
1895年 ヴォラールの画廊で個展を開き、一部の若い画家たちから注目されはじめる
1906年 エクスで死去
<ポール・セザンヌ 作品一覧>
ポール・セザンヌ「青い衣装のセザンヌ夫人」
ポール・セザンヌ「帽子をかぶった自画像」
ポール・セザンヌ「縞模様の服を着たセザンヌ夫人」
ポール・セザンヌ「りんごとナプキン」
ポール・セザンヌ「りんごとオレンジ」
ポール・セザンヌ「リンゴ」
ポール・セザンヌ「カーテン、水差し、そして果物鉢」
ポール・セザンヌ「果物と花瓶」
ポール・セザンヌ「オリーブ色の花瓶に活けられた花」
ポール・セザンヌ「りんごと洋梨」
ポール・セザンヌ「ボトルのある静物」
ポール・セザンヌ「りんごと瓶とスープ容れ」
ポール・セザンヌ「チューリップの花瓶」
ポール・セザンヌ「青い花瓶」
ポール・セザンヌ「飾りだんすのある静物」
ポール・セザンヌ「デルフトの花瓶に活けられたダリア」
ポール・セザンヌ「石膏のアムール」
ポール・セザンヌ「頭蓋骨のピラミッド」
ポール・セザンヌ「エスタックにあるマルセイユ湾」
ポール・セザンヌ「エスタックのマルセイユ湾」
ポール・セザンヌ「エスタックから見たマルセイユ湾の眺め」
ポール・セザンヌ「エスタックから眺めたマルセイユ湾」
ポール・セザンヌ「アヌシー湖」
ポール・セザンヌ「サン・ヴィクトワール山」
ポール・セザンヌ「ロアーズの谷間の村」
ポール・セザンヌ「カード遊びをする五人の人々」
ポール・セザンヌ「カード遊びをする男たち」
ポール・セザンヌ「マルディ・グラ」
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2011年12月21日 | コメント/トラックバック(0) |
ゴーギャン
1848~1903 後期印象派
ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)
<ポール・ゴーギャン 年表>
1848年 6月7日フランスのパリに生まれる(~7歳までここで生活)
1855年 フランスのオルレアンに移住。中学、高校時代をここで過ごす
1865年 17歳のとき船員として働き出す
1871年 証券仲介会社勤務。この頃から絵画を描き始める
1873年 メット・ソフィネ・カーズという女性と結婚
1874年 ピサロと出会う。ここで印象派の画家たちと知り合う。
1875年 サロン初入選
1882年 妻の実家であるコペンハーゲンに移住
1883年 証券会社退職。本格的に絵画の道へ進む
1885年 息子だけを連れてパリへ戻る
1888年 ゴッホの熱烈な誘いを受け、アルルへ移住しゴッホと共同生活を始める。
1891年 パリに戻った後、タヒチへ移住。
1893年 一旦パリに帰国
1895年 再びタヒチへ。
1903年 5月8日、死去。
<ポール・ゴーギャン 作品一覧>
ポール・ゴーギャン「アレアレア」
ポール・ゴーギャン「タヒチの女」
ポール・ゴーギャン「フルーツを持った女」
ポール・ゴーギャン「3人のタヒチ人」
ポール・ゴーギャン「マンゴーを持った女」
ポール・ゴーギャン「ブルターニュの農婦」
ポール・ゴーギャン「タヒチの二人の女性とマンゴーの花」
ポール・ゴーギャン「マンドリンのある静物」
ポール・ゴーギャン「雪のブルターニュ」
ポール・ゴーギャン「オリーブ山のキリスト」
ポール・ゴーギャン「パラヒ・テ・マラエ(聖なる山)」
ポール・ゴーギャン「三匹の子犬のいる静物」
ポール・ゴーギャン「La Orana Maria」
ポール・ゴーギャン「黄色いキリスト」
ポール・ゴーギャン「黄色いキリストのある自画像」
ポール・ゴーギャン「ブルターニュの3人の少女の輪舞」
ポール・ゴーギャン「ヒマワリを描くゴッホ」
ポール・ゴーギャン「戯画的自画像」
ポール・ゴーギャン「ヤコブ・メイエル・デ・ハーン」
ポール・ゴーギャン「処女喪失」
ポール・ゴーギャン「アハ・オエ・フェイイ(おや、妬いているの?)」
ポール・ゴーギャン「マナオ・トゥパパウ(死霊は見守る)」
ポール・ゴーギャン「ジャワ女アンナ」
ポール・ゴーギャン「レ・ミゼラブルの自画像」
ポール・ゴーギャン「美しきアンジェール」
ポール・ゴーギャン「説教の後の幻影 ~ヤコブと天使の闘い~」
ポール・ゴーギャン「マハナ・ノ・アトゥア(神の日)」
ポール・ゴーギャン「タ・マテテ(市場)」
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2011年12月15日 | コメント/トラックバック(0) |
ゴッホ
1853年~1890年 後期印象派
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
<フィンセント・ファン・ゴッホ 年表>
1853年 3月30日オランダのベルギー国境近いブラバント地方フロート・ズンデルトに誕生
1866年 ティルブルフの中学校に入学
1868年 中学校を中退し、故郷フロート・ズンデルトヘ戻る
1869年 美術商であるグーピル商会に就職(ハーグ、ロンドン、パリに滞在)
1876年 グービル商会を解雇される
1876年 イギリスの学校でフランス語とドイツ語を教えるが、年内で辞めてしまう
1877年 書店勤務ののち、ブリュッセルの伝道師養成学校に入学するも、伝道師の資格は得られず
ベルギーのボリナージュに行き伝道師として活躍
1880年 ブリュッセルで素描を学ぶ
1881年 両親のいるエッテンに戻り画家として生活を始める(この頃は農民や自然風景を描いていた)
1882年 父親と口論となり家を出たためハーグへ移住後、オランダ東北部ドレンテ地方、ニュー・アムステルダムと移り住む
1883年 両親のいるオランダのヌーエンに戻る
1885年 父死去。初期の有名作品「しゃがいもを食べる人」制作
1886年 アントワープに移住、その後パリへ
1887年 浮世絵の展覧会を開く
1888年 アルルへ移住、ここでは積極的に絵画制作に励み、多くの有名作品を残す
1888年 ゴッホの熱烈な誘いを受け、ゴーギャンがアルルへ来る(たった2ヶ月で共同生活は終わる)
1888年 ゴーギャンとの共同生活が上手くいかなかった為口論となり、自分の耳を切り落とす
1889年 サン・ミレの療養院に入院。ここの庭の風景を描いたりして絵画制作を続ける
1890年 アンテバンダン展に出品した作品が好評、この年オーヴェールに移住
1890年 7月27日拳銃自殺をはかり、29日死去
<フィンセント・ファン・ゴッホ 作品一覧>
フィンセント・ファン・ゴッホ「夜のカフェテラス」
フィンセント・ファン・ゴッホ「12輪のひまわり」
フィンセント・ファン・ゴッホ「14輪のひまわり」
フィンセント・ファン・ゴッホ「花瓶のアイリス」
フィンセント・ファン・ゴッホ「アイリス」
フィンセント・ファン・ゴッホ「星月夜」
フィンセント・ファン・ゴッホ「オーヴェールの教会」
フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルのはね橋」
フィンセント・ファン・ゴッホ「カラスのいる小麦畑」
フィンセント・ファン・ゴッホ「パイプを置いたゴッホの椅子」
フィンセント・ファン・ゴッホ「ゴッホの部屋」
フィンセント・ファン・ゴッホ「ローヌ河の月明かり」
フィンセント・ファン・ゴッホ「夜のカフェ」
フィンセント・ファン・ゴッホ「種を蒔く人」
フィンセント・ファン・ゴッホ「糸杉のある小麦畑」
フィンセント・ファン・ゴッホ「糸杉と星の見える道」
フィンセント・ファン・ゴッホ「洋梨のある静物」
フィンセント・ファン・ゴッホ「日本の花瓶に生けた薔薇とアネモネ」
フィンセント・ファン・ゴッホ「真昼の休息」
フィンセント・ファン・ゴッホ「夾竹桃」
フィンセント・ファン・ゴッホ「花瓶のばら」
フィンセント・ファン・ゴッホ「果樹園」
フィンセント・ファン・ゴッホ「オリーヴ園」
フィンセント・ファン・ゴッホ「雨雲のあるオーヴェールの野」
フィンセント・ファン・ゴッホ「オリーヴ園(黄色の空と太陽)」
フィンセント・ファン・ゴッホ「アイリスのあるアルルの眺め」
フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルの公園の道」
フィンセント・ファン・ゴッホ「オワーズ川岸」
フィンセント・ファン・ゴッホ「鋤とまぐわ」
フィンセント・ファン・ゴッホ「収穫」
フィンセント・ファン・ゴッホ「家のある並木道」
フィンセント・ファン・ゴッホ「ラングロワ橋」
フィンセント・ファン・ゴッホ「ラ・クローの収穫」
フィンセント・ファン・ゴッホ「療養院の中庭」
フィンセント・ファン・ゴッホ「窓から見た肉屋」
フィンセント・ファン・ゴッホ「クロー平原の桃の木」
フィンセント・ファン・ゴッホ「ポール・ゴーギャンの肖像」
フィンセント・ファン・ゴッホ「画家としてのゴッホ」
フィンセント・ファン・ゴッホ「耳を包帯でくるんだ自画像」
フィンセント・ファン・ゴッホ「フェルト帽を被った自画像」
フィンセント・ファン・ゴッホ「カミーユ・ルーラン」
フィンセント・ファン・ゴッホ「イスに座るジョセフ・ルーラン」
フィンセント・ファン・ゴッホ「タンギー親父」
フィンセント・ファン・ゴッホ「じゃがいもを食べる人たち」
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2011年12月12日 | コメント/トラックバック(0) |
スーラ
1589年~1891年 新印象派
ジョルジュ・スーラ (Georges Seurat)
<ジョルジュ・スーラ 年表>
1859年 フランス、パリの裕福な農家に生まれる
1878年 パリの国立美術学校に入学
そこでアングルの弟子レーマンから古典派的な画術をを学ぶ。
1881年 ドラクロワの画風の研究をする
1883年 デッサンがサロン入選
1884年 サロンに落選。この後から点描で作品を描くようになる
1885年 ピサロやドガと知り合う
1886年 第8回印象派展に出品した「グランド・シャット島の日曜日の午後」が大きな話題を呼ぶ
1887年 ブリュッセルの前衛的なグループ「20人会」の展示会に出品
1888年 第4回アンデパンダン展に出品し、成功を収める
1891年、ジフテリアにより31歳で死去
<ジョルジュ・スーラ 作品一覧>
ジョルジュ・スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」
ジョルジュ・スーラ「サーカス」
ジョルジュ・スーラ「サーカスのパレード」
ジョルジュ・スーラ「シャユ踊り」
ジョルジュ・スーラ「ポーズをとる女たち」
ジョルジュ・スーラ「化粧する若い女」
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2011年12月6日 | コメント/トラックバック(0) |
ブーダン
1824年~1898年 印象派
ウジェーヌ・ブータン(Eugene Boudin)
<ウジェーヌ・ブータン 年表>
1824年 フランスのノルマンディー地方オンフルールにて生まれる。実家は水夫の家庭。
1835年 父が水夫を辞めたため、一家はフランスのルアーブルへ引越。
1845年 ブータンはミレー等のバルビゾン派の画家たちと出会う。
1857年 のちに印象派を代表する若き画家モネと出会う。
1874年 第一回印象派展に出展
1859年 画家ギュスターヴ・クールベと出会う この年にパリのサロンへのデビューを果たしている。 1881年 サロンで第3位を獲得
1889年 サロンで金賞を獲得
1892年 レジオン・ドヌール勲章を受け、ナイトの称号を得る。
1898年 ドーヴィルで死去
<ウジェーヌ・ブータン 作品一覧>
ウジェーヌ・ブータン「カマレ海岸、トゥーランゲ岬(Camaret, Le Toulinguet)」
ウジェーヌ・ブータン「ドービルの干潮(Deauville at Low Tide)」
ウジェーヌ・ブータン「ドービル、旗で飾られた港の船」
ウジェーヌ・ブータン「ドービルのテラス(Deauville, the Terrace)」
ウジェーヌ・ブータン「ジュアン・レ・パンの湾岸」
ウジェーヌ・ブータン「港の景色(Harbor Scene)」
ウジェーヌ・ブータン「港の入り口(Harbor Entrance)」
ウジェーヌ・ブータン「オンフルールの港(Harbor at Honfleur)」
ウジェーヌ・ブータン「ボルドーの港(Harbor at Bordeaux)」
ウジェーヌ・ブータン「ダンケルク(Dunkirk)」
ウジェーヌ・ブータン「アンティーブ岬(Le Cap, Antibes)」
ウジェーヌ・ブータン「橋際の洗濯女」
ウジェーヌ・ブータン「ボルドーの景観(View of Bordeaux)」
ウジェーヌ・ブータン「アンティーブの景観(View of Antibes)」
ウジェーヌ・ブータン「ベルクの入り江(The Inlet at Berck )」
ウジェーヌ・ブータン「ベニス、サン・ジョルジョから見たサンタ・マリア・デラ・サルーテ教会」
ウジェーヌ・ブータン「トゥルーヴィルの海岸(The Coast at Trouville)」
ウジェーヌ・ブータン「ドービルのトゥーク川にかかる橋」
ウジェーヌ・ブータン「アントワープの嵐(Storm over Antwerp)」
ウジェーヌ・ブータン「ル・アーブルの港(Port of Le Havre)」
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2011年12月2日 | コメント/トラックバック(0) |